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活動レポート

復興meetup! 「SKY BATON」×きっかけバス47

2月16日(日) 1日目

2014年2月16日@那覇空港〜羽田空港へ
東北から一番離れた沖縄から、46名の学生たちが出発!『SKY BATON』の支援のもと、飛行機で"きっかけバス"の待つ羽田空港に向けて飛び立ちます!

"きっかけバス47"沖縄県の学生メンバーたちが、那覇空港に続々と集結。日本最南端の地から総勢46人が東北へ向かう。

那覇空港内で行われた「出発式」。リーダー・山本芽依さんが中心となってメンバーを集め、寄付金を募り、今、出発のときを迎えた。

"きっかけバス47"のユニフォームである黄色いビブス着た沖縄チームのみなさん。いよいよ出発です!

山本 芽依さん (やまもと めい) / "きっかけバス47"沖縄県学生リーダー

——いよいよ出発です。今の心境を聞かせて下さい。
これまで自分たちでも募金を集めるなどの活動をしてきました。たくさんの方が支援してくれたおかげで、私たちのチームもこの沖縄から遠く東北へ向けて出発できることを、本当に嬉しく感じています。支援してくれた方々の想いもしっかりと受け取って、みんなが被災地でたくさんのことを感じたり学べたりできるように、リーダーとしてこのツアーが充実できるように頑張りたいです!
——沖縄の46人のメンバーはどんな人たちですか?
このメンバーは各大学で呼びかけたり、Facebookの"きっかけバス47"のページのシェアで広まって、それを知って参加するメンバーです。今日初めて46人全員が集まったんですが、出発式でみんなの「元気」が伝わって来たので、良いツアーになりそうだな、いよいよ行くんだな、って気持ちが高ぶりますね。私たちは「学生」という立場で東北に行くのですが、自分たちにできることは、ボランティアももちろんそうですが、社会人では難しい学生だからこそできることを見つけたいと思ってます。そこにこそバスを東北に向かわせる意味もあると思うので、ひとりひとり感じたことや学んだことを、自分の言葉で伝えていけるような、そんなツアーにしていければな、と思っています。それでは行ってきます!

バスの待つ東京・羽田空港へ。『SKY BATON』に託された支援者のみなさんの想いとともに、沖縄から46人の学生メンバーが飛び立つ。

羽田空港に向かう機内。参加メンバーに意気込み聞きました。
「ニュースで見る東北しか自分は知らないので、震災から3年経った今、自分の目でどの段階まで復興しているのか見て来たいと思っています。被災地が被災地ではなくなるって、どういうことなのか。学んできたいと思います。」(比嘉謙太さん/右)
「ずっと東北には行きたいと思っていたのですが、なかなか行動できずにいました。沖縄にも基地問題がありますが、内地の人が全然関心がないのが分かるんです。逆に被災地の人たちから見たら、自分も同じような感じなのかな、って。そうであってはいけないと思い、参加しています。」(野村愛鈴さん/左)

羽田空港に到着後、"きっかけバス47"のバナーを貼って、出発準備完了!バスは東北道を一晩かけて北上する。

車内では早速、恒例の「チェック・イン」がスタート。「被災地のことを知らないままではいられない。」メンバー46人、46通りの想いを語り合う。

「いざ東北へ!」 学生たちの熱い想いを乗せて、バスは一路、東北へ向かう。

2月17日(月) 2日目

2014年2月17日@宮城県陸前高田市・気仙沼市
東北に到着した"きっかけバス47"沖縄のメンバー。ボランティア活動や地元の人々との交流を通して、何を感じたのでしょうか?

翌朝、バスは最初の訪問地の陸前高田に到着。車窓からは、津波が押し寄せた平野が広がっていた。「陸前高田復興サポートステーション」のナビゲートのもと、ヘルメットを被った一行はボランティア活動を行う「古川沼跡」へと向かう。

多くの住宅が流され、更地のように何も無い。かつては沼だったこの場所も、今は海と繋がってしまった。

"奇跡の一本松"の近くのこの場所は、かつては7万本の防風林があった場所。雪混じりの強風が吹く中、ボランティア作業が始まる。

沼地跡に集められた土砂をふるいにかけ、200名を超える行方不明者の手がかかりを見つける。

稲嶺 萌子さん(いなみね もえこ)

——初めて見た被災地の姿は?
東北に来ること自体が初めてです。被災地についてはテレビや写真でよく見ていましたけど、こうやって生で実際に見てみると、本当に何も無いんだな、と衝撃を受けました。何かあるんじゃないかと思っていたんですけど、本当に何も無くて。ここに街があったこと、家が建っていたことを想像するのは難しいです。
——ボランティア活動の感想を聞かせてください。
今日のボランティア活動は、まだ200人を超える行方不明の方がいて、その人たちの手がかりを捜すために、集められた土砂をふるいにかけて分別する作業でした。最初は正直、髪の毛や骨や遺体の一部が出て来たらどうしようとか不安に思ったんですけど、でも作業しているうちに、ご遺族の方が大事にされている思い出の品や、何か手がかりをもし見つけることができたなら、自分がそのお手伝いをしたことになるんだな、と前向きに思えて来て。ちょっと寒かったんですけど、でも、一生懸命頑張りました。

「復興工事によってこの地が埋め立てられる前に、何か手がかりを見つけたい。」遺族の願いの手助けとなるために、この活動は続けられている。

宮城 力くん(みやぎ りき)

——今回の経験は、今後どのように活かしていこうと思いますか?
実は1年前にボランティアに来たことがあるんです。その後沖縄に戻った時に、僕の周りには被災地に行ったことのある人もいないし、被災地で一緒に活動しようと誘っても、賛同してくれる人がいなかったんです。でも今回はこうやってみんなで来ているから、沖縄に戻ったときに、今度はみんなで動ける。この若い力が集まって動けるということなので、今後が楽しみでもあるし、支援のひとつになるのかな、と思ってます。帰ってからも頑張りたいと思います。
——東北に特別な想いがあるんですよね?
以前被災地に来たときに、地元の人たちやボランティアの人たちと、たくさんの交流がありました。遠く離れた沖縄に住んでいますが、この陸前高田はもう第二のふるさと、って思っていたんです。今こうやって戻って来て、また復興に携われているんだ、という気持ちで胸がいっぱいです。『SKY BATON』そして"きっかけバス47"に感謝しています。

ボランティア作業場から見える、被災建物の雇用促進住宅陸前高田第二宿舎跡。5階建ての4階部分までが津波で破壊された。

陸前高田駅の跡地を訪れたメンバー。コンクリートのプラットホームだけが残され、見る影もない姿に言葉を無くした。

夜は気仙沼へ。多くの飲食店が津波にのまれたこの地では、仮設の商店街で復興を目指している。地元の方々とも交流し、思いを繋ぐ。
「私たち被災地の人間がこうやって震災のことを話せるのも、年齢的なことを考えても限りがありますよね。だからこうやって若い人たちにどんどん被災地に来てもらって、この現状を見て、受け止めて、そして地元に帰って『今の東北はこうなんだよ』って伝え続けてほしい。そういう意味でも"きっかけバス47"は大勢の学生さん、それも沖縄みたいに遠いところも含めて全国から集まってくれて、スゴく大歓迎なんです。」(はまらん屋店主・村上勝子さん)

夜に開催される「ダイアログ」は、一日を振り返って感じたこと、考えたことをメンバーで共有する時間。夜遅くまでディスカッションは続く。

グループで話あったことを発表する、古賀久恵さん。「ボランティア活動もいろいろあると思うけれど、今日のような地道な作業にも、力が求められているんだということがわかった。」

まとめ
「震災で形を変えてしまったこの土地を自分の足で踏み、自分の目で見ることで、これまでとは違う感情と新しい発見を得ることができました。」
託された『BATON』を携えて訪れた東北の地。ほとんどのメンバーが初めて訪れたという。車窓から見る初めての東北の姿、ボランティア活動での様々な想い、「今の東北」を目の前にして、参加者みんなの顔つきが変わってくるのが手に取るように感じられました。
バスは陸前高田から移動し、南三陸や閖上地区、そして福島へと移動します。

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